NbSe₂のCDWはどう変わる?――CPUで約36分、H100×2で約2分のMD実機比較
超伝導と電荷密度波が共存するNbSe₂で、なぜ原子の時間変化を追うのか。公開AllegroモデルによるCPU 64コアとH100×2の実測から、計算速度が研究の問いをどう広げるかを解説します。
結論(1分)
この計算で知りたいのは、原子を何秒で動かせるかだけではありません。二セレン化ニオブ(NbSe₂)の中で、温度を変えたときにどの構造が生まれ、共存し、別の構造へ移るのかを時間に沿って調べることです。
NbSe₂は、低温で電気抵抗がゼロになる超伝導と、「電荷密度波(CDW)」が同じ材料の中に現れる層状材料です。CDWとは、電子の分布に周期的な濃淡が生じ、それと連動して原子の位置もわずかにずれる集団現象です。CDWを理解することは、電子と格子振動の結び付きや超伝導の仕組みを探り、積層やひずみなどで物性を調整する道を考えるうえで重要です。
今回の1323原子・500ステップの同じ計算では、CPU 64コアが約36分26秒、H100×2が約1分53秒。実測中央値の比は19.36倍でした。
本当に重要なのは「112.914秒」という記録そのものではありません。 一つの条件に使っていた時間を、温度、初期条件、セルサイズを変えた比較へ振り向けられることです。研究を「一例の観察」から「条件を変えても残る傾向の検証」へ進めることに、GPUの価値があります。
ただし、今回はCDWや超伝導を新たに発見・再現した報告ではありません。確認したのは、公開モデルをH100×2で実行できること、同じ短時間計算を高速に反復できること、そして1323原子・10 psの軌跡を最後まで保存できることです。ここを、次の科学的検証への出発点にします。
なぜNbSe₂を計算するのか
NbSe₂が面白いのは、CDWと超伝導が単層まで共存し、しかもCDWの姿が層の数、ひずみ、積層、基板、二層のねじれなどに敏感だからです。材料に加える条件によって、電子と原子がつくる周期模様を変えられる可能性があります。
ここで最終的に問いたいのは、例えば次のようなことです。
- 温度を変えると、normal、hollow、filledと呼ばれる候補構造のどれが残るのか
- 異なるCDW領域は共存するのか、それとも時間とともに一つの模様へ変わるのか
- 初期状態、セルサイズ、層数、積層やひずみを変えても同じ傾向が得られるのか
これらは、超伝導の性能をMDだけで直接予言するという話ではありません。CDWの形成と安定性を理解し、量子材料の状態を何が選んでいるのかを一段ずつ明らかにする基礎研究です。2026年の公開論文は、こうした問題を第一原理計算とAllegro機械学習ポテンシャルで扱い、モデルとデータをMaterials Cloud(永続DOI)で公開しています。今回の測定は、その公開資産を出発点にServerGearが独立に行いました。
なぜ「最安定構造を1枚」では足りないのか
構造最適化は、坂を転がる球が近くの谷底で止まる操作に似ています。安定な構造候補を探すには有効ですが、浅い谷がいくつもある材料では、出発点によって別の谷に止まることがあります。温度を与えたときに谷から谷へ移るのか、複数の構造が同時に残るのかは、静止画1枚だけでは分かりません。
NbSe₂のCDWは特に繊細です。元論文によると、CDWに伴う原子変位は約0.1 Å、重要なエネルギー変化は原子当たり約1 meVという小さな尺度です。候補となるCDW構造どうしの差はさらに小さいため、モデル精度だけでなく、初期条件、温度、セルサイズ、計算時間の確認が欠かせません。
分子動力学(MD)計算は、原子に働く力を求め、ほんのわずかな時間だけ動かす操作を繰り返す「原子の超スローモーション撮影」です。熱による揺らぎや、構造が時間とともに選ばれていく過程を追えます。元論文では、10 Kでnormal、hollow、filledの領域を混ぜた単層が時間とともにhollow主体へ変化し、二層では温度を使わない直接最適化が局所的な谷に捕まりやすいことが示されました。これは元論文の結果であり、今回の200 K・10 ps実走で再現した結果ではありません。
第一原理計算、機械学習、H100をどうつなぐのか
原子を動かすには、各ステップで原子に働く力が必要です。電子状態から力を求める第一原理計算は信頼性の基準になりますが、大きなセルを長時間、さらに多数の条件で繰り返すと計算量が急増します。
そこで今回は、第一原理計算のデータからエネルギーと力を学習した「Allegro機械学習原子間ポテンシャル(MLIP)」をLAMMPSと組み合わせました。GPUは、多数の原子とその近傍に対する似た計算を同時に進められるため、このMLIPの反復計算に向いています。
高速化によって現実的になるのは、一回だけ長く走らせることではありません。
- 低温側を含む複数温度を比較する
- 各温度で初期速度を変えた複数seedを走らせる
- 大きさや周期性が異なるセルで、CDW領域や長波長の影響を調べる
- normal、hollow、filledなど異なる初期構造から始める
- 代表的な原子配置を第一原理計算で照合する
つまりH100は、正しい物理を自動で作る装置ではありません。反復、対照条件、統計を増やし、研究の問いを「一つ走るか」から「何を比べれば仮説を検証できるか」へ変えるための装置です。
なお、今回使った公開M1モデルは構造再構成向けです。フォノンやCDW転移温度を定量評価するには、元論文が別に用意した振動特性向けモデルやSSCHAなど、目的に合った方法が必要です。古典MDだけから超伝導や正確な転移温度を決めることはできません。
まず「同じ計算」を何分で反復できるか
科学的な結論には一つの軌跡ではなく、条件を変えた比較が必要です。その基礎となる一回の短時間計算を、どれだけ早く反復できるか測りました。
公平に比べるため、同じモデル、原子配置、温度、時間刻みで、準備運転50ステップの後に500ステップを計測しました。結果は各構成3回の中央値です。
500ステップは0.5 fs刻みで0.25 ps相当です。1 ps(ピコ秒)は1兆分の1秒です。短時間性能を見る区間であり、科学的なtrajectory(原子の動きを時系列に記録したデータ)として十分な長さを意味するものではありません。
| 構成 | 1323原子・500ステップの実測時間 |
|---|---|
| CPUのみ・64物理コア | 2185.53秒(約36分26秒) |
| H100×1 | 約3分40秒(220.472秒) |
| H100×2 | 約1分53秒(112.914秒) |

ここでCPUとH100は別々のホストで、LAMMPSなどもそれぞれの実機向け構成です。したがって、これはGPUという部品だけを交換した比較ではなく、同じ入力をそれぞれの実機環境で動かした「計算環境どうし」の比較です。
H100を1枚から2枚にすると約1.95倍(同じ反復番号どうしの比の中央値)になりました。通信や仕事の分担にも時間がかかるため、2枚でも必ず2倍にはなりません。今回の1323原子では、2枚目をかなり有効に使えました。
表はLAMMPSの500ステップ計算区間を測ったものです。起動、モデル読込、軌跡保存などは含みません。日常の作業時間そのものではありませんが、CPUとGPUの計算核を同じ物差しで比べられます。
10 psを最後まで走らせてみる
H100×2で1323原子を目標温度200 KのNVT条件に置き、20,000ステップ=10 psまで実際に走らせました。所要時間は75分23秒。環境の起動と終了、モデル読込、100ステップごとの軌跡保存、再開用データの保存も含みます。計算は完走し、201枚の原子配置、201件の温度記録、4個のチェックポイント、最終状態を確認できました。

開始直後には、初期状態からNVT条件へ移る大きな温度の調整過程が見えます。2–10 psは事前に固定した記述統計の窓ですが、「十分に平衡化した」「相転移が起きた」と証明するものではありません。
CPUの500ステップから10 psを単純換算した値と、このH100の実走時間は、含まれる処理が違います。したがって、両者を割って「何倍」とは表示していません。短距離走の記録と、給水や準備を含む長距離走の記録を、そのまま比べないためです。
次に行うべき、科学的にインパクトのある計算
200 K・10 psを一回完走しただけでは、CDWについて新しい結論は出せません。次に必要なのは、同じ計算をただ長くすることではなく、何を比べればCDWの形成・共存・転換を判定できるかを先に決めた計算campaignです。
| 科学的な問い | 次に行う計算 | 答えを判断する指標 |
|---|---|---|
| 低温でどのCDW構造が選ばれるか | normal、hollow、filledを混ぜた初期構造から、低温MDを複数seedで実行 | 各motifの割合、CDW秩序変数、時間変化、seed間の再現性 |
| 温度で構造の傾向はどう変わるか | 低温側を含む複数温度で同じ手順を反復 | 秩序変数と構造因子の温度依存性。正確な転移温度は別手法で評価 |
| 見えた模様はセル固有の人工物ではないか | 大きさと周期性の異なる複数セルを比較 | CDW領域、共存模様、長波長成分のサイズ依存性 |
| MLIPの予測を物理結果として信頼できるか | 代表的な原子配置をQuantum ESPRESSOで再計算 | エネルギー、力、候補構造の相対的な順序との整合 |
元論文も、全データを平均した誤差が小さいだけでは、わずかな差で競うCDW構造の安定順序を保証できないと注意しています。だからこそ、複数の初期構造、低温での時間発展、セルサイズ、第一原理計算による照合を組み合わせます。
ここで得たいインパクトは「H100が速かった」で終わることではありません。どの条件でCDWの模様が生まれ、競合し、選ばれるのかを、再現性と根拠を伴って示すことです。今回のベンチマークは、その検証を一回のデモではなく、比較可能な計算群として実行するための土台です。
自分の計算でも速いかは、実際に測って確かめる
結果はこのNbSe₂モデルと設定での実測であり、材料、原子数、モデル、保存頻度などで変わります。目標200 K・1回の計算は、今回の条件で10 ps区間の有限温度trajectoryを生成・保存できたことの確認で、論文の低温CDWを再現・証明した結果ではありません。性能実測と科学的結論を分けることが、次の検証を信頼できるものにします。
ServerGearでは、購入前にお客様の入力で測る「おまかせ性能測定」をご用意しています。LAMMPS、Quantum ESPRESSOなどの現状と、H100を1枚・2枚で使う場合を一緒に整理し、測定条件と結果をお返しします。H100×2搭載システムと単体販売の詳細もご覧ください。
入力が固まっていなくても構いません。「この規模なら試せる?」「CPUから移す意味はある?」という段階から、ken@server-gear.comへご相談ください。
測定メモ
- CPUは比較用の別ホスト(dual Intel Xeon Gold 6430、64物理コア)をCPU-onlyで使用。販売ページ掲載システムのCPU性能との比較ではありません。
- H100はPCIe 80GBを2枚使用し、NVLinkはありません。80GB×2は物理搭載量の合計であり、1つの160GB共有メモリとして使えるという意味ではありません。
- 500ステップ比較は各構成n=3の中央値。10 ps実走はH100×2でn=1です。測定値は今回の入力に対する実績で、他のワークロードの性能を保証するものではありません。
- 75分23秒は本計算区間(production phase)の実時間(wall time)です。実行環境の起動・終了、モデル読込、計算、設定済みの軌跡・再開データ保存を含みますが、事前点検(preflight)、GPU監視処理(計測サンプラー)の起動・停止、Slurmのジョブ待ち(queue)、終了後検証(validator)は含みません。